2025/12/25 21:00

はじめに
私たちが何気なく飲むコーヒーは、「眠気を追い払う飲み物」というだけではありません。
カフェインという小さな化学物質が、宗教、都市文化、貿易、科学の発展と絡み合いながら広がっていった“歴史の飲み物”でもあります。
ヤギと赤い実
コーヒー史の導入で有名なのが、エチオピアの山でヤギが赤い実を食べて元気になり、羊飼いが気づいたという話。
これはあくまで伝承ですが、コーヒーがエチオピア周辺にルーツを持つこと、そして人々の生活に深く根づいた文化であることを象徴的に伝えています。
飲み物としてのコーヒー
コーヒーを“飲み物”として定着させたとして語られるのが、15世紀のイエメン。
夜の祈りや修行の場で、覚醒を助ける飲み物として用いられた、と言われています。
やがて豆は港町モカなどを通じた交易で広がり、都市の社交の中心へ。
モカという地名が、のちの「モカ」の呼び名としても残っていきます。
議論と噂と「ペニー大学」
16世紀にはカイロやダマスカス、イスタンブールへ広がり、コーヒーハウス文化が花開きます。
さらにヨーロッパへ渡ると、17~18世紀のイングランドでは、コーヒーハウスが政治・科学・商取引の情報交換拠点になり「ペニー大学」と呼ばれました。
面白いのは、人気が出すぎて“炎上”が起きたこと。
1674年にはコーヒーをやり玉に挙げる風刺的パンフレット『女性のコーヒー反対請願』が出回り、 1675年には国王チャールズ2世がコーヒーハウス抑圧の布告を出す騒ぎにまで発展します。
苗木が海を渡る
18世紀に入ると、コーヒーは“飲む文化”から“育てる産業”へ。
象徴的なエピソードとして、1720年代前半にフランス人士官が苗木をカリブへ運び、栽培を広げた話がしばしば紹介されます。
この頃から、コーヒーは世界的な商品作物として一気にスケールしていきます。
カフェインが「物質」になった
コーヒーが世界を席巻してからもしばらくの間、「何が効いているのか」は分かりませんでした。
しかし、1819年に、ドイツの化学者がコーヒー豆からカフェインを単離した、と言われております。
さらに、フランスの化学者たちによる研究の中で、名称として「caféine(カフェイン)」が用いられ、英語の caffeine へつながった、という説明もあります。
この時、コーヒーは、単なる「目が覚める飲み物」から、「特定の分子(カフェイン)を含む飲み物」へと変わりました。
まとめ
カフェインの歴史をコーヒーと絡めて眺めると、流れはシンプルです。
エチオピアでの伝説 → 飲み物としてのイエメン → 都市文化のコーヒーハウス → 世界商品としての栽培拡大 → 化学によるカフェインの発見。
次にコーヒーを飲むとき、「この一杯は、祈りの夜更かしから始まり、都市の議論を経て、やがて分子として名づけられた」と思い出すと、いつもの味が少しだけ立体的になるかもしれません。

